@R00715950 Profile picture

R子

@R00715950

2020年、当時29歳だった息子がアルコール依存症で専門病院に入院しました。退院後は断酒が継続しています。私は父がアル中、母が毒親でACの自覚あり。#アルコール依存症 #アルコール依存症家族 #Twitter家族会 #毒親 #アダルトチルドレン

Similar User
あるあるコール 家族のための おしゃべりサロン photo

@Alalcall

まきしま@断酒 photo

@225xc

Dr.久野良夫 依存症家族を支援 photo

@wA4HAV2mQMv25Fz

あなご名人 photo

@koroanago0723

けい@のんある photo

@nonal_kei

ボールボーイ photo

@BallboyFrom2022

moka photo

@Izonto_tatakau

sayo photo

@ymacon3

みらい photo

@Miraiyuya

ぺそ photo

@ragaraja4

三咲 photo

@Xo6WsCo9PkbHX0q

ラッキー photo

@9m2k5UzedlUCGrQ

syuri photo

@abcdefabcdzw

mai(一人アル中根絶の会) photo

@SLE4fPTQZz3zoSk

ばんび。。 photo

@Banbi811

みんなで回転寿司に行った。夫は下戸、息子は断酒5年目、娘の彼氏は飲めるけど晩酌はしない。誰も飲まないのでパクパク食べて30分で終了。翌日は焼肉。バクバク食べて1時間たたないうちに店を出た。タイパ最高! 彼氏に酒を勧めたが普段は飲まないとのこと。余計な気を遣わなくて済むので楽だった。


息子の断酒のために何でもやろうと思っていたから、もし断酒できなかったら「私じゃダメ」だということで私が離れるか息子を違う環境におくべきだと考えていた。断酒のための前向きな別れだ。息子は「一緒だと2人ともダメになるけど離れれば少なくとも1人(家族)は助かる」という緊急避難的考えだった


29歳の息子が断酒会に入ると先輩方から「もっと飲めたのにね」「この先飲めない人生が長いね」と同情(?)された。私は「この先の長い人生を酒なしで生きる方がいいじゃん」と思った。肝心の息子は「断酒できると思っていなかった」らしいが多くの人に支えられて丸4年たった。皆様本当にありがとう。


老人ホーム入居を1週間も遅らせている母(92歳)が「こんなに長生きするつもりはなかった。私がどんなに理不尽なことを言ってもあんたが何でも聞いてくれるからだ。反発されていたらストレスでもっと早く死ねたのに」そして「私より早く死なないでね」って。私にストレスかけてるという自覚はあるようだ


まずは家財道具だけ老人ホームへ搬入。叔母と私が交代で実家に通い準備を進めた。前日になっても母から面倒なオーダーや変更が出る。「◯子(叔母)は怒ってやってくれないけどあんたは何でも聞いてくれる」と言われ、怒ったり拒否していいのか!と驚いた。文句も言わない私はイネイブラーだと気付いた。


亡父は晩年近所の老人ホームに入居した。早朝から夜まで掛かってくる怒鳴り声の電話に辟易しながら私は毎日のように父の元に嫌々通った。「行かなくてもいいんだよ」と言う息子に私は「そういうわけにはいかない」と言ったらしい。「毒親は捨てていい」と人には言うのに自分はできない。ACのACたる所以


90代の毒母が今月中に近所の老人ホームに引っ越してくる。その準備に母は「あれしてくれ、これしてくれ」とわがまま放題。そのオーダーを私が文句も言わずに頑張ってクリアしていく。子どもの頃と全く同じ構図だ。慣れてるから全然平気だけど、問題意識は持たなきゃとやっと思えるようになった。#AC


信じるも信じないものあなた次第な話。20年程前知り合いの霊能士から後にも先にも初めて電話がきた。「あなたがこのままだと息子さんが将来大変なことになる」私には何のことだかわからず「はぁ」と生返事。そして10数年後息子はアル依存症になりその時やっと私は自分がAC的な母親だったと気が付いた。


酒乱の父と毒親の母と一人っ子の私。「親にされてイヤだったこと」をやらないで子どもを育てたら息子はアル中になった。友人は「母にしてもらって嬉しかったこと」で子どもを育てた。息子の退院後は友人が心掛けたことをマネしてみた。好物のおかずを作り晴れたら布団を干す。そうして息子は断酒1400日


断酒後は炭酸水を常飲した。箱買いで常備したが無くなりそうになると不安になってスーパーに買いに走る私も、必ずひと口残しておく息子の飲み方もアル中みたいでイヤだった。ラベル剥がしは面倒だけど、大量のストゼロ空き缶を洗って潰すより全然マシ。今はラベルレス炭酸水を購入。ラベルレス最高!


コーヒーをやめて1年。たまに飲むとその日は深夜まで眠れないし眠りも浅くて何度も目が覚める。インスタントコーヒーで量を調節してみたらスプーン1杯程度が適量だった。不眠の息子もカフェイン(依存気味)をやめればいいのにと思うけど酒よりマシ。判断基準が「酒よりマシ」っていつまで続くんだろう?


前のめりに突っ込んで歩いていると言われた。改善しようとしても習性はなかなか変わらないので靴に中敷を入れてみた。するとパッと姿勢が良くなり視界が劇的に広がった。自分のことは自分が一番わかっているわけではない。人から見た私が自分の知らない私だったら一旦受け止めて検討してみる価値はある


断酒1年目の夏、息子は仲間から海水浴に誘われた。初めてのお出かけを不安がる私の気持ちを仲間の皆さんは「親がまだ心配するのは当たり前だね」と理解してくれた。息子も私の思いを優先して参加を見送った。あの時の私は「断酒仲間と一緒にいることが一番安全」だということに気付いていなかった。


退院翌週から私と息子は自助会に通い始めた。29歳の息子に母親が同伴するのは奇異に見えたのだろう。会長や先輩家族から「1人で通わせれば?」と言われたが私は年老いても一緒に通う覚悟でいた。だが仲間からランチや別会場に誘われて息子は自立していった。そんな皆さんのお陰で私も息子を手放せた。


息子の出産祝いに来た知人が「未年生まれの男の子にはお金で苦労させられるよ」と言った。聞き流したがよもやよもやだった(呪いかよ!) 飲んでた頃の息子は私が困窮を訴えてもお金をせびってきた。生活を切り詰めても自転車操業で苦しかった。依存症者は相手が億万長者でも貧乏人でもお構いなしなしだ


若い頃に初パチンコで大当たりした。ビギナーズラックってあるんだと思った。旅先の時間調整でやむなく夫とパチンコに入った。また当たった。その次に同じ状況になった時パチンコに行きたくなり、これヤバくない?と我慢した。依存症になる性格はなくても依存症にならない性格はあるような気がする。


退院1234日、断酒1360日  キリ番が揃って尊い♪ 只今下戸の夫と旅行中。酒要素皆無で楽ちん。 夏に2回目の家族旅行を計画中。初回は旅先に潜む酒要素に目を光らせその排除に全力を尽くした。非日常が飲酒欲求をかき立てたらどうしようと気が気じゃなかった。次回はもう平常心で臨めそうだ。断酒最高!


4ヶ月の入院中私は毎週末差し入れを持って面会に行った。出掛ける前に便箋1枚に短い手紙を書いて添えた。夫がいれば書いてもらったが彼はいつもプロ野球などのたわいのない話を数行。入院生活や治療について一切触れなかった。片付けをしていたら残った便箋が出て来た。「しあわせをはこぶ手紙」だった

Tweet Image 1

「お目出たい人」を観た。通夜の席に断酒会のリーダーがやって来て大酒飲みと依存症の違いを語ったり献杯で微妙な空気になったり。アル依存症っぽい参列者が泥酔、ブラックアウト、人に殴りかかるが酔いが覚めるといい人、など断酒会やアル依存症の小ネタ満載。下北沢スズナリ明日まで #お目出たい人


断酒3年8ヶ月の息子と時々電話で親子例会。息子は今「何故酒を飲むようになったのか」考えている。過去を回想する息子の話を聞くのは結構キツイ。親として自責の念にかられるし、単純に話の内容が悲しくもある。それでも向き合っているのは息子の「酒を必要としない新しい生き方」を見届けたいからだ


Loading...

Something went wrong.


Something went wrong.