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六甲修験

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六甲連峰には山伏が修行されたと伝承される滝や岩場が点在しています。役小角は日本行者の七修行の場の一つとして大峰山などと共に『六甲修験』として六甲山を修行の山として開創されました。 古文書によると『六甲修験』とは鷲林寺を出立寺院として石宝殿、雲ケ岩、三国岩などの行場に至り四鬼家山伏の修験宿(多聞寺)に到着するとあります。

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『六甲修験の道』入り口である鷲林寺での柴灯護摩の様子

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1/10 毎年恒例の六甲修験禊の滝でもある旭の滝での寒行。今年もお疲れさまでした。

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毎年恒例の六甲修験禊の滝でもある旭の滝での寒行。今年もお疲れさまでした。

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山は神の住むところとして「嶽」(タケ)と言います。〝長〟とか〝丈〟であり、山全体が神の姿であるとします。 「峰」とは〝美根〟という賛美のことば。よってその山にある一木一石全てに神が領有されていると考えたのです。よって滝とか泉も全て神意によるものとして常に深い敬意を捧げたのです。


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役行者の時代は、日本に古来から伝わる神道が衰え、外来の仏教が上流社会に影響を与えた時代でありました。修験道の一派は純仏教ではなく、仏教を加味した一種の神道的なところがありました。また、行者の教風は堂塔伽藍を荘厳するものではなく、自然の山嶽を主体とする教えであったのです。


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神功皇后の三韓平定の後、応神・仁徳天皇以来、三韓との交通は頻繁になっていきました。欽明天皇の頃、百済国から仏教が伝わりましたが百済国滅亡の後、多数の避難民が日本に帰化土着しました。その中に法道仙人一派があり、山々に仏寺を建てて行きました。関西方面に法道仙人開基の寺が多い理由です。


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神功皇后が三韓征伐からお帰りになる時、南の海中で船が渦巻きによって目的の難波に着かれなかっだそうです。神意を伺うと、天照大神の荒御魂は皇居に近づくことができないから、向こうの津に着けて廣田に祀れと仰られたので、御心の廣田に祀られたとあります。


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六甲山と言いますが、もともとはムコウヤマで、漢字に直して武庫・牟古・務古・六児・六甲などがあり、六甲の字をもってロッコウと音読したものです。ムコウとは古の難波津、すなわち大阪から見て向こうに見える山ということで、ムコウヤマと呼ぶようになったという嘘みたいな本当の話です。


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廣田神社の御神体 撞賢木厳之御魂天疎向津比売尊ですが、この御神名の中に向津比売(ムカツヒメ)とあるのは鎮座の地名であると文献にはあります。 鎮座名ムカツ。鎮座神は白山妙理大権現。鎮座した人が役小角。御神体がイザナギがイザナミを神格化した菊理姫。本地が十一面観音。(文献による纏め)


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『日本書紀』には 是の時、菊理媛神、亦た白す事有り、伊弉諾尊聞きて之を善しとす 「申すことあり」とだけ書かれていてその内容は書かれていません。菊理とは覚知することで聞き切るということ。耳で聞くということではなく心で聞き切りなさいということと『玉籖集』にあります。密教に繋がります。


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黄泉の国との境界で対峙するふたりの前に登場するのが菊理媛尊で、イザナギ・イザナミ 二神の前で何かを話されて仲裁をし、その後二人は仲直りをして天照大神や月読尊、須佐之男尊が生れました。↓


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『日本書紀』にはイザナギとイザナミに「国生み」と「神生み」が命じられましたが、イザナミが火の神を出産した時のやけどで亡くなります。悲しんだイザナギは死の国へ妻を迎えにいきます。ところが、醜く変わった妻の姿を見てイザナギは逃げ出してしまい、怒ったイザナミは夫の後を追います。↓


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白山妙理大権現になぜ〝妙理〟が入るのかというと、妙なる理という意味で、言語も絶たる理。すなわち耳で聞く声や音ではなく、言葉では言い表すことができない真理の神というような意味と理解しました。 (以上 『玉籖集』)


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六甲山の御神体は白山妙理大権現。その御神霊はイザナギがイザナミを神格化させた尊格で、この神を菊理姫という。菊理とは覚知することで聞き切るということ。耳で聞くということではなく心で聞き切るということ。その意味で神号を菊理姫神とされました。


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文献資料をまとめた結果、六甲山の守護神を確認することができました。 六甲山の守護神は白山妙理大権現です。イザナギ・イザナミの神と菊理姫の神。それに神功皇后さまを祀っています。清浄な天然石を神の鎮座の所として石の宝殿と言い、六甲山神社が白山妙理大権現を鎮座させた場所です。


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1枚目の写真は石の宝殿のお社で雨乞いをされている明治時代の写真です。雨乞いの祈祷は古来より唐櫃村の四鬼家もしくは鷲林村の高田氏と甲斐氏が先達として携わったと文献に書かれています。 2枚目は現在の石の宝殿です。 石の宝殿には六甲山の鎮守神、白山妙理大権現を役行者が祀られました。

eizen_san's tweet image. 1枚目の写真は石の宝殿のお社で雨乞いをされている明治時代の写真です。雨乞いの祈祷は古来より唐櫃村の四鬼家もしくは鷲林村の高田氏と甲斐氏が先達として携わったと文献に書かれています。
2枚目は現在の石の宝殿です。
石の宝殿には六甲山の鎮守神、白山妙理大権現を役行者が祀られました。
eizen_san's tweet image. 1枚目の写真は石の宝殿のお社で雨乞いをされている明治時代の写真です。雨乞いの祈祷は古来より唐櫃村の四鬼家もしくは鷲林村の高田氏と甲斐氏が先達として携わったと文献に書かれています。
2枚目は現在の石の宝殿です。
石の宝殿には六甲山の鎮守神、白山妙理大権現を役行者が祀られました。

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伊勢神宮は天照大神和御霊(にぎみたま)廣田神社は天照大神荒御魂(あらみたま)を祀ります。 伊勢神宮を東の宮として廣田神社を西の宮としました。いわゆる〝西宮〟という地名の由来といわれる一伝です。 廣田神社の荒御魂を仏教的にソラン荒神として祀る寺院が鷲林寺です。


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悩み多き時代… 護摩祈願を受け、滝行をし、瞑想室でゆっくり自分を見つめ直す。そんなことができるお寺を目指してお滝と瞑想室を境内に作っております。 新年1/10の滝開き以降よりご利用できます。ご活用いただければ幸甚です。 お滝を、受けることがご無理な方は遥拝するだけでも功徳はあります。


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来る1/10滝開きを致します。 毎年、鷲林寺より山に入ったところにある旭の滝で行者さんが滝行をされますが、今年は旭の滝での滝行の後、新しく完成する滝で修行してくださいます。 午前9時より護摩祈祷。 護摩祈祷の後に旭の滝で修行。午前11時頃より鷲有の滝で滝開きの予定です。 写真は旭の滝

eizen_san's tweet image. 来る1/10滝開きを致します。
毎年、鷲林寺より山に入ったところにある旭の滝で行者さんが滝行をされますが、今年は旭の滝での滝行の後、新しく完成する滝で修行してくださいます。
午前9時より護摩祈祷。
護摩祈祷の後に旭の滝で修行。午前11時頃より鷲有の滝で滝開きの予定です。

写真は旭の滝
eizen_san's tweet image. 来る1/10滝開きを致します。
毎年、鷲林寺より山に入ったところにある旭の滝で行者さんが滝行をされますが、今年は旭の滝での滝行の後、新しく完成する滝で修行してくださいます。
午前9時より護摩祈祷。
護摩祈祷の後に旭の滝で修行。午前11時頃より鷲有の滝で滝開きの予定です。

写真は旭の滝

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六甲山をはじめとする山には天狗岩や弁天岩や雲ケ岩など岩や石への信仰が多くあります。石とは「由々しき」とか「奇しき」とか驚異の意味を含んでいて「堅固・清浄・荘重」の三つの徳があると言われていて〝神が座られる場所〟と考えられました。


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石の宝殿は東六甲最高地にあり、古くから「道修坊」といわれ雨乞いの祈願所として北摂・北播の各村や武庫郡東部諸村が干魃の年には護摩を焚き祈願した。その祈願は唐櫃村の四鬼家が総頭として携わり、武庫郡の人々への祈願は鷲林寺の高田家が頭領となって四鬼家と同様に雨乞いの行事を執行したとある。


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六甲山頂にある三巨岩は西六甲の最高所にある三国岩と、三国岩から東に約1.3キロのところにある雲ケ岩と、石の宝殿と呼ぶ神座石(かんざいし)であります。


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