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サド侯爵

@sadokousyaku

神奈川県在住のマルキ・ド・サドです。よろしくお願いします。悪徳こそわれわれ人間に固有のもの、つねに自然の第一法則なのであって、それにくらべればどんなりっぱな美徳だって利己主義的なものでしかなく、分析してみれば実は美徳そのものが悪徳なのだということが。要するに、人間におけるいっさいは悪徳なのだ。

申すまでもないことですが、閉居している女たちにとって、快楽への傾向は、彼女らを互いに親しく結びつける唯一の動機なのです。


すなわち、いやしくも男一匹として、このみじめな地球の上に誕生してしまったからには、せいぜい己れの趣味と気まぐれの範囲を拡大し、あらゆるものを快楽のために犠牲にして、辛い人生に幾らかでも薔薇色の彩りを添えようと努力すべきである、と。


この楽しい情欲の声以外のものに、耳を藉すな。情欲の源こそ、諸君を幸福にみちびいてくれる唯一つのものなのだから。


そもそも、この情欲というものは、無味乾燥な道学先生にとっては怖ろしいもののごとくだが、実のところ、自然が自然の目標に人間を到達せしめんがために用いる手段にすぎない。


その四 要るに良心の呵責というのは、この最初心に萌した衝動の純粋素朴な結果なのであって、習慣のみがこれを破壊することができる。われわれはかかる感情を断乎として克服すべく努力せねばならない。


その三 よしわれわれが住む国を変えてもなお、この無意識の声を消し去ることができなかったとしても、それはこの声の正しさを証明することにはならない。ただ最初に心に萌した衝動がなかなか消えないものだということを、改めて思い知るのみである。


かりにわれわれが違った風土に生れていたならば、その声もまた大いに異なっていたであろうことは疑いを容れない。


その二 もしもわれわれがわれわれ自身の内部に、われわれの心に萌した悪しき行為への欲望と闘う無意識の声を感じるならば、その声は疑いもなくわれわれの偏見あるいは教育の結果でしかなく、


たまたま人間が善とか悪とかいう区別を設けたとしても、それはもっぱら人間が採用した法律によるものか、あるいはその人間の所属する国家の意向によるものであって、自然という面からのみ観察するならば、われわれの行為はすべて完全に同等なものでしかない。


その一 われわれの行為はすべてそれ自体においては無差別で、善でも悪でもない。


お久しぶりです。 バスチーユ監獄から帰還致しました。


お久しぶりです。 バスチーユ監獄から帰還致しました。


アポロ11号ニール・アームストロング船長らによる人類史上初の月面着陸から45年なり http://t.co/EEIq7MZH9N

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崇高なものが現代では無力で、 滑稽なものにだけ野蛮な力がある。


初めから妥協を考えるような決意というものは本物の決意ではないのです。


世間の恋人達を見るがいい。やっと告白が始まるときにはもう欺いている。


ある人たちにとっては幸福なことが、他の人たちにとっては不幸なのだ。


負けても終わりではない。やめたら終わりだ。


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