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いのちの雫🍀💧(父と友を亡くした自死遺族)

@inochinoshizuku

#自死遺族 #自殺 /罪深き「私」への戒めと慰めと/ #帰国子女 #元いじめられっ子 #PTSD #元命の現場

Joined February 2016
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人はなぜ自殺をするのか。 大切な人が自殺するとなぜ人は大なり小なり壊れてしまうのか。 自殺は誰からも同情も理解もされない死。遺族でも加害者扱いもされることも。 「お前が殺した」「生きたくても生きられない人がいのに」「最期まで他人様に迷惑かけて」「死ぬ勇気があれば」 #自殺 #自死


お盆と台風。旅立った命たちは帰ってくるの?愛猫も愛犬も。自死した者はどんな顔して戻って遺された者がどんな思いで生きてきたか見て何か思う?魂だなら何も思わない?それはそれで無責任で嫌。でも死んでからも現世を引きずっているのも酷。一度そこら辺ちゃんと話そっか。怒らないから出てきね。


昔はmixiで自死遺族のコミュニティがあってそこで活発に交流があって、実際に会って自主的な遺族の会を開いてた。それが発展してNPOの自死遺族の会も立ち上がった。今、変な言い方だけど新たな遺族の方はどこで交流してるだろう?HP見て直接遺族の会に行くのだろうか?


人が多いというは嫌な面が多い。でもその何千、何万との人との交錯は人生の交錯でもある。あの人も自死遺族かもしれない。同じ親や子、配偶者、兄弟を亡くしたかもしれない。一家かもしれない。子連れで幸せそうな夫婦も親を亡くした自死遺族かもしれない。多くの人生の交錯する都会。嫌いじゃない。


ほんと大切な人が、最愛の人が自殺するって、この世の最大級の衝撃だよね。自分の存在する意義すら根底から打ち崩すよね。だから「僕も若い頃に病気で大切な人を急に失ってるんですよ」という共感は全く受け付けない。そしてカウンセラーがやりがち。


でも何もかも逝ってしまった人のせいにはできない。それは都合よく利用してるだけでは?過去の足枷は無限に付きまとうけど、この先どう歩んでいきたいかという思いはあなたの自由。


乗り越えることも時薬もないのよ。立ち直るとか前を向くともないの。最愛の人が自らいなくなって、そんなの受け入れることはできない。他責も自責も渦巻く。ただ…、その思いを抱きながら生きていけるようにはなる。それは回復や立ち直りとは違う。痛みや自責や悲しみと同化する感じ。


予兆はありました。未遂があったので。メンタルクリニックにも通ってました。でも逝ったのは突然でした。遺書もなく医者からもいい傾向と言われてた中で。回復期が一番危ないというのもわかってましたが、そこも脱却していたと思っていました。 今でも思いを知りたいです。

自死遺族の皆さんに聞きたい 逝かれた方は遺書を遺していましたか? 私の場合は遺書がなく、予兆も無かったので、本当に原因が分からなくて 未だに居なくなったことが嘘のようです どんな事実がそこにあっても良いから 私が原因であっても良いから 理由を知りたい #自死遺族



いまは多くの国民が自分自身で精一杯。経済や社会情勢やいろいろなことで。そんな日々の中で電車で人身事故が起きるとイラつくのもわかる。やむにやまれぬ背景や心情を汲み取る余裕は多くの人にない。私にもあるかも甚だ疑問。自殺率は減ってると言ってもまだまだ高止まり。多くの遺族が生まれている。


Xはあまり見てなく交流もあまりないので誰が入って誰がいなくなったかはよく見えない。自死遺族の会をやってた時はリアルにあの人が逝ってしまった、新たな遺族との出会いなどリアルだった。そのリアルさが心地よい瞬間と地獄の苦しみに舞い戻る苦しさ、新たな遺族へ馳せる想いなど多々あった


みなさま、お久しぶりです。いつもお久しぶりです。


父が自死した年齢にもう少しで届く。こんな若い年齢なのにと思ってしまう。まだまだ先しかないのに。それを全て捨ててまで逝ってしまった。私もそこまででいいかなぁともふと思ってしまう。死にたいとかじゃなく。


失った要因は全く違うけど大切な人が突然逝ってしまい二度と会えないその苦しさは本当によくわかる。決して癒えない。時薬なんてない。抱えきれなくてもそれでも抱えて生きていくしかない。私も自死遺族として活動してた時があった。それしか生きる道がなかった。 陰ながら応援しています。

仏壇に面会の報告。 泣いてしまった。ふたりに会いたいよ。でも絶対に叶わない。 叶わないから、お父さんは再発防止活動をしたい。そのためなら、面会でも対談でもなんでもする。 拒否することも出来たのに、面会を受け入れてくれた飯塚さんに感謝したい。勇気が必要だったと思う。

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本当は、いろんなことはいつでも無情に変わっていく。人生や生きる意味なんていつでもたいしてあるわけじゃなかった。何もかも全てを逝ってしまったあなたのせいにするのはずるい。あなたの死を利用して私の弱さや怠惰、無気力を正当化したくない。それって本当にずるい、といつも自戒。


徳川家康の言葉で、 「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」という言葉がある。自死遺族の私はどんな時もあの日を忘れることはなく癒えることもない。それでも時には笑い時には幸せを感じるかもしれない。それでも重荷が下りることはない。またそれを背負ってることを忘れることも決してない


神様は人が背負いきれないものを背負わせるんだよ。「置かれた場所で咲きなさい」ではなく離れられるなら、荷を下ろせるなら、すぐにそうすべき。耐え忍ぶべきことなんてそんなにないんだよ。たとえあっても命より重い荷なんてないんだから、あなたにとって重すぎるならすぐにそんな荷は下ろしちゃいな


あの日、会社を休職し1人で家に居た夕方、もう少しで家族が帰ってくる時間、吸ったタバコ1本だけ灰皿に入ってた。一体どんな思いでタバコを吸ってたのかな。もう何もかもに絶望してたのかな。もう光の指す方向がそこしか見えなかったのか。疲れちゃったのか。 あなたの悲しい背中が映る


お墓参りにはあまり行きたくない。あの時の現実が舞い戻ってくるから。あの時の現実に本当に本当に苦しめられた。その恨みも根強くある。あなたの苦しみや決断をまるまる否定はしないけど、遺される家族には何も思いを馳せなかったのか。少しは考えたのかな、あの茜色の夕焼けの中で。


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