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菩薩の生き方って最高にかっこいい✨ だって、他人のために自分の労苦をいとわないし、他人の喜びが自分の喜びだし、相手に見返りなんて求めないし、馬鹿にされたり批判されたって境涯高くて耐えるし。 今の時代、そんな生き方なかなかできない。 それを目指す世界中の創価学会員は、すごいと思う🙂


おはようございます✨ 師子吼のごとき題目とともに、 今日も行学の二道を✨


きょうの発心 蔵の財よりも身の財すぐれたり、身の財より心の財第一なり。この御文を御覧あらんよりは、心の財をつませ給うべし。(崇峻天皇御書、新1596・全1173) (2024年11月29日付聖教新聞5面)


「心の師とはなるとも、心を師とせざれ」(新1481・全1088) (2024年11月29日付聖教新聞5面)


伸一は、教学の重要性に触れ、どこまでも御書根本に仏道修行に励んでいくべきであることを訴えた。 それぞれが我見に走れば、団結することはできない。しかし、御書に立ち返れば、心を一つにすることができる。仏法の法理にこそ、私たちの行動の規範がある。 (新・人間革命 第30巻上 雄飛)


きょうの発心 かかる者の弟子檀那とならん人々は、宿縁ふかしと思って、日蓮と同じく法華経を弘むべきなり。法華経の行者といわれぬること、はや不祥なり、まぬかれがたき身なり。(寂日房御書、新1270・全903) (2024年11月28日付聖教新聞5面)


「『大願』とは、法華弘通なり」(新1027・全736) (2024年11月28日付聖教新聞5面)


「僧も俗も、尼も女も、一句をも人にかたらん人は如来の使いと見えたり」(新1720・全1448) (2024年11月28日付聖教新聞5面)


「全宇宙の諸天が信心の志を知られるでしょう。その功徳は、露を大海に入れ、土を大地に加えるようなものです。生々に失われず、世々に朽ちないでしょう」(新1306・全968、趣意) (2024年11月28日付聖教新聞5面)


「我ならびに我が弟子、諸難ありとも疑う心なくば、自然に仏界にいたるべし」(新117・全234) (2024年11月28日付聖教新聞4面)


おはようございます✨ 御書を心肝に染めて、 今日も行学の二道を✨


きょうの発心 一切衆生、南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり。経に云わく「衆生所遊楽(衆生の遊楽する所)」云々。(四条金吾殿御返事、新1554・全1143) (2024年11月27日付聖教新聞5面)


「このやまいは仏の御はからいか」「病によりて道心はおこり候なり」(新1963・全1480) (2024年11月27日付聖教新聞5面)


「人にたまたまあわせ給うならば、むかいくさきことなりとも、向かわせ給うべし。えまれぬことなりとも、えませ給え」(新1952) (2024年11月27日付聖教新聞5面)


「法華経の行者の祈りのかなわぬことはあるべからず」(新592・全1352) (2024年11月27日付聖教新聞5面)


「妙法を念ずるに、疑いを 生ずべからず」御書(新1080・全776)。確信 の祈りが勝利の道筋開く (2024年11月27日付聖教新聞1面)


おはようございます✨ 祈り・目標は具体的に、 今日も行学の二道を✨


「同じ『事実』を前にしても、そのとらえ方、見方は、人によって異なる。(中略)物事を見極める眼力――それは、みずからの“境涯”で決まる」 (2024年11月26日付聖教新聞5面)


「智人は起を知り、蛇は自ら蛇を識る」(新200・全284) (2024年11月26日付聖教新聞5面)


「王地に生まれたれば身をば随えられたてまつるようなりとも、心をば随えられたてまつるべからず」(新204・全287) (2024年11月26日付聖教新聞5面)


衆流あつまりて大海となる。微塵つもりて須弥山となれり。日蓮が法華経を信じ始めしは、日本国には一渧一微塵のごとし。法華経を二人・三人・十人・百千万億人唱え伝うるほどならば、妙覚の須弥山ともなり、大涅槃の大海ともなるべし。(新205・全288) (2024年11月26日付聖教新聞5面)


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