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ごろごろ

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ずっとごろごろしていたい。誰かの役に立ちたい。仕事で活躍したい。矛盾のいきもの

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自分のなかにある臆病さ、狡猾さ、調子よさ、怠惰、鈍さ、過敏さ、……全部、使えますよ。 そういう、自分のなかにある弱さや悪さって、それを使いこなしていけば、生きていくための素晴らしい道具になる。 放っておくと、自分の足を引っ張って、生きにくくなる。


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巷にはあらゆる類のハウツーが溢れているが、何事であれ、真に上達、習熟したいのならば、その道の“本物”にひたすら触れることに勝るものはない。 「近道」して表層的なコツを身につけてしまうと、最も重要な、自分での発見と感動と体得を悉く逃す。 器用な偽物になってしまうと、やり直すのは難しい。


ごろごろ Reposted

要は世界は音楽なのだ。 耳だけでなく、全身で聴くと、頭では捉えられない事の本質が直感される。 音楽には心地よさ、心地悪さ、テンポ、ムード、様々な趣がある。 あらゆる事象を音楽として感じられると、直感的に、その要不要、適不適がわかるので、的確に対応できるようになる。

どんな選択にも、それを選んだ先にはそれぞれの絵や音楽がある。人は本来、その微かな色と音を、先んじて感じる力を持っており、それを拠り所とするなら、選択を誤ることはない。 我々は、情報に踊らされず、感情に惑わされず、何より確かな“予感”という力を取り戻す必要がある。



ごろごろ Reposted

①役者は声。 声を聞けば、いい役者かどうかわかってしまいます。 かといって必ずしも美声である必要はありません(美声の持ち主はその美声をつい自慢したくなる衝動と戦わなくてはいけないので、別の難しさがあります)。 自分が今この瞬間に出している声に敏感であるかどうか。ここが肝です。(→②)

声に自覚的になりましょう。 あなたがなにか声を発するその瞬間にその空間で声がどのように響いているかをちゃんと聞きましょう。 言葉を“言う”と同時に“聞く” 自分の出している声を聞けていない俳優、自分の声に無自覚な俳優に素敵な俳優はいません。



習い事の予約を忘れたり掃除の日を忘れたり、周りに迷惑掛けっぱなし… しっかりしないと。。


類は友を呼ぶ


平野のカームガーデン、住宅街の異次元空間で素敵なカフェだった

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ある武術の人が言っていた。三つか四つしかない型を一生繰り返す。それが飽きないのは反復には差異があるからで、その小さな小さな差異を通して「無限」に近づくからだ。踊りも似たようなもので、繰り返しに飽きるのは差異を見いだす力がないから。


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「考える力」について考える。それは「振れ幅」を持たせられることなんじゃないか。視点をかえられること。レンズを付けかえられること。視野をひろげたり、せばめたりできること。小学生のように考えたり、老人のように考えたりできること。逆に、考え方が固定されているひとほど、考える力がよわい。


チャンカワイ「情報番組」で、まず反応を気にするべき相手は視聴者さんではないことに気づいて。突破口は「最初のお客さまは誰か」を考えることで見つかる(婦人公論.jp) #Yahooニュース news.yahoo.co.jp/articles/2f046…


おせち料理って正直あまり美味しく無い。だけど食べないと正月気分を味わえない。私は美味しいおせち料理になりたい。


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誰も、あなたになんか、興味はない。 あなたを通して、あなたを超える何かが出来してくる、その「何か」に魅惑されるのだ。 そして、何かに自らを明け渡す、あなたのその所作や覚悟や生き方に魅了されるのである。


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私を見て、という自己顕示と、私がそうであるところの状態を見て、という自己表現とは、まったく違う。 後者の場合、私はあくまでも媒体にすぎない。私において現れるものを、他者に贈ろうとしている。


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自分の“氣”を意識してみる。 その眼差し、動作、表情は、どんな色をまとっているか? それが心地よかったり、素敵に感じられたりするのなら、その人は幸せだ。 我々は外側の景色や情報、出来事や他人の態度ではなく、常に自分の氣を味わっているのだ。


自分が頭でっかちになってたから、頭でっかちな人に囲まれたんやな。。


世の中は自分の写し鏡


3週間コロナでダウン。やっと治ったと思いきや、今度は酷い生理痛。子宮にも影響でるみたい。


12日間ずっと寝てただけ。(ウーバー 4回ネットスーパー1回利用)


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日本の伝統芸能はすべて「息」「間合い」によって律せられている。 だから、例えば歌舞伎役者が、ある役の舞踊の息をつかむために、「俵屋宗達の絵がいちばん参考になる」という談話を残したりしている。 つまり、一つの芸に通じることで、別の分野の表現にも理解が及んでいく。


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