@c73274 Profile picture

山浦佑介(Yusuke Yamaura)

@c73274

現在、那須与一が活躍した「扇の的」のエピソードをなぞる、参加者体験型のイベントを中心に、侍がメインテーマの国際交流フェスティバル「Project Yoichi」を企画し活動しています。世界展開を前提に、まず日本国内の皆さまによるご協力を仰ぎたいと切に願っております。何卒、ご支援・ご協力の程、宜しくお願い申し上げます。

Similar User
歴史が好き🍀 photo

@naruseyanoken1

ときち「怜一」🏮🎣🏎️🏍️ photo

@Tokiti825

新・歴史Walker! photo

@Maitri_Krn

lapis photo

@lapis_123877

武楽衆 photo

@murakushu

草の実堂 photo

@kusanomido

世戸口政親 photo

@Fransisco1530

雨男 photo

@masumasu1567

Kaz HAT photo

@kaz_stationV3

シニア城巡り隊隊長(旧大江 健一) photo

@ak407079

友梨香@彼氏よりセフが欲しい photo

@yuri71647565

鍬海政雲一心 Kuwami Masakumo Isshin photo

@kuwamimasakumo

大和大納言(豊臣秀長) photo

@jsyl37gD03IA

リンタロス photo

@Rrintaro777

マリコ(暗号名) photo

@mariko19411208

Pinned

Project Yoichi - クラウドファンディングCAMPFIRE camp-fire.jp/projects/view/… @campfirejpさんから


本日、無事に29歳の誕生日を迎えることが出来ました! 有難うございます。 28歳はたくさんの素晴らしい人々と出会えた、今までにない有意義な1年間でした。 今年は自分の人生で実現したいこと全てに挑戦し、後悔のない20代最後の年にしたいと思います! 今後とも、宜しくお願いたします!


山浦佑介(Yusuke Yamaura) Reposted

与一まつり2017のポスターもらいましたぞぉ(*´ω`*)/❗ お祭りめっちゃ楽しみ🏮🏮🏮

Tweet Image 1

阿津賀志山の山麓の「義経の腰掛松」です! 藤原秀衡公をたより源義経公が金売吉次とともに平泉へ下向する際、松に腰を掛けたとの伝説が由来です。 現在は、初代松の幹・根本を保存するための覆屋が建てられており、その傍らには二代目松の一部を接木により育成した三代目の松があります。

Tweet Image 1
Tweet Image 2
Tweet Image 3
Tweet Image 4

福島県国見町には源義経公、武蔵坊弁慶主従にまつわる伝説が多く残されています! こちらは「弁慶の硯石」で、阿津賀志山の麓、小高い硯石山の頂上にあります!

Tweet Image 1
Tweet Image 2
Tweet Image 3
Tweet Image 4

奥州合戦の激戦地だった阿津賀志山(厚樫山、現福島県伊達郡国見町)の防塁です。 この戦いで敗れ、出羽方面に脱出しようとした藤原国衡公は、追撃した和田義盛公に討たれました。畠山重忠公・小山朝政公も活躍しています。 この戦いにより奥州藤原氏は大打撃を受け、奥州合戦の大勢が決しました。

Tweet Image 1
Tweet Image 2
Tweet Image 3
Tweet Image 4

福島県伊達郡桑折町にある、常陸入道念西公の墓です。 源頼朝公とは親戚関係にあり、奥州合戦の石那坂の戦いで功を成し、陸奥国伊達郡を賜りました。 これを契機に伊達姓を称し、その後裔は中世・近世を通して大いに発展しました! 福島は鎌倉時代から続く戦国大名伊達氏勃興の地でもあるのです。

Tweet Image 1
Tweet Image 2
Tweet Image 3
Tweet Image 4

舘ノ山公園山頂(本丸跡)からのぞむ信夫山方面です! 福島市の中心市街地まで、広く見渡せるようになっています😆 眼下の森林には、佐藤氏一族の菩提寺である医王寺も見ることができます!

Tweet Image 1
Tweet Image 2
Tweet Image 3

山頂部の本丸跡には、近くに駐車場も2か所あり車で進むことができます! 本丸跡は広い平坦地となっていて、城跡碑と佐藤氏一族を祀った大鳥神社があります!

Tweet Image 1
Tweet Image 2
Tweet Image 3
Tweet Image 4

佐藤一族の居城であった大鳥城は、現在、舘ノ山公園となっています! 山頂部の主郭に向かう途中には、ずっと続く奇麗な蒼い紫陽花が咲いていて、とても美しかったです! 吾妻鏡石那坂の戦いでの「陣于石那坂之上」は飯坂の山上(大鳥城本陣跡)を意味してるかもしれないとも、考えられています!

Tweet Image 1
Tweet Image 2
Tweet Image 3
Tweet Image 4

本堂には、二人の息子を失った年老いた母、乙和御前の悲しみを癒すため、自身の悲しみをこらえ甲冑を身につけ、夫の凱旋の勇姿を装った、継信公の妻「若桜」と忠信公の妻「楓」の姿を写した二人の人形がまつられています! 白石にある甲冑堂にも、このエピソードの人形がまつられているようです。

Tweet Image 1
Tweet Image 2
Tweet Image 3

頼朝公に追われ、平泉に下った義経公一行は、平泉へ向かう途中兄弟の父基治公のもとを訪れ、兄弟の武勲を伝え、また、遺髪を埋め追悼の法要を営んだそうです。 兄弟の石塔(墓)は、「粉にして飲むと体が強くなる」という言い伝えにより、薬として利用され、半ばほどが大きく削り取られていました!

Tweet Image 1
Tweet Image 2
Tweet Image 3
Tweet Image 4

兄継信公は屋島の合戦で、平能登守教経公の矢から身を盾にして義経公を守り、討ち死にされました。 弟忠信公もまた、兄源頼朝公と不和になり追われる身となった源義経公を逃すため、身代わりとなり敵をひきつけ京都堀川の地で華々しい最期を遂げました。

Tweet Image 1
Tweet Image 2
Tweet Image 3
Tweet Image 4

福島市飯坂町にある、佐藤一族の菩提寺「医王寺」です。 この地方はかつて忍(信夫)といい、12世紀頃には信夫庄司(或いは飯坂温泉が湧く地から湯庄司)といわれた、佐藤基治公が奥州藤原氏に任され、この一帯を治めていました。 息子の継信公、忠信公は源義経公に忠義を尽くした士で有名ですね!

Tweet Image 1
Tweet Image 2
Tweet Image 3
Tweet Image 4

白河には(伝)金売吉次兄弟の墓もあります! 昔、NHKの人形歴史スペクタクル平家物語を見ていたころ、朱鼻とこの金売吉次がすごく苦手でした😅

Tweet Image 1
Tweet Image 2

今回、一番訪れたかったのがこの「庄司戻しの桜」です! 前回見落とさなければ、桜満開だったのですが、また来年の春にもう一度訪れる口実ができたので、まぁいいかなと思います😁

Tweet Image 1
Tweet Image 2
Tweet Image 3
Tweet Image 4

境内には頼朝公が奥州藤原氏を攻めた奥州合戦の際、頼朝公が白河に達したときに、梶原景季に詠ませた歌が刻まれた石碑もありました!

Tweet Image 1
Tweet Image 2
Tweet Image 3

旗立の桜という場所もありました! 本当に、なぜこの間はこんなにいい所を見逃したのか、、、😅

Tweet Image 1
Tweet Image 2
Tweet Image 3

治承4年(1180・平安時代)は、義経公が兄である頼朝公の挙兵を知って、平泉から鎌倉に向かう道中に詣でたようですね!

Tweet Image 1
Tweet Image 2
Tweet Image 3

先日、Lapisさんにご挨拶するため、大田原市に向かう途中で一度は寄ったのですが・・・ 肝心な史跡等を見落としてしまっていたので、再度白河関跡に行ってきました!

Tweet Image 1
Tweet Image 2
Tweet Image 3
Tweet Image 4

山浦佑介(Yusuke Yamaura) Reposted

ちなみに、住職さんの話によるとこのお寺で数年前に、那須与一関連のお寺や史跡関係者、子孫の方々が全国から集まってサミットが開かれたそうです。与一サミット行きたかったなぁ(´;ω;`)💦


Loading...

Something went wrong.


Something went wrong.