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「あー好きな人ほしい」ってのは、深層心理で言うと『誰かに必要とされたい』って意味がこもってるんだよね。つまり寂しいわけよ。そんな子を、チャラいな!!って顔で見ないで暖かい気持ちで見守ってあげてくださいな。


あの頃は良かったのに、あの頃は優しかったのに、みたいに思う時、たぶん変わったのは相手だけじゃなくて自分もなんだと思うんですよね。そう言うと「わたしは優しくしています!」って勢い良く返されそうだけど、果たしてそれは誰目線の優しさなのかって考えると、いろいろと見えてくる気がします。


この人はこんな人が好きそうだなっていうのを察知して色んな人の前でその人の好みの自分になろうとする。人から嫌われたくない。この人に好かれたい。の繰り返し。それじゃだめだ。ありのままの自分でいなきゃ、いつか壊れちまう。


自分がいるべき環境にいるのだったら、生きる苦しみはずいぶん減るし、生きる喜びは大きく増します。魚のいない場所でいくら釣り糸を垂らしても釣れないように、自分がいるべき場所にいれば、幸せは入れ食いです。先ずは、自分がいるべき場所にいるのかどうか?そこからです。


人間関係って相手と対峙する前に、まずは自分と向き合わないとダメなんだよ。素直になれない、我慢ができない、思いやる振りをして自分のことばっかり、とか。そんな自分に、逃げずにちゃんと向き合うことが、誠意を持って人と付き合うことのはじまりなんだよ。


理由がなくても会えるっていうのは、理由を失くして、初めて、ああ本当に尊いことだったんだなぁと思い知らされる。大人になればなるほど、みんなそれぞれの時間をそれぞれの場所で生きているからこそ、理由がないと人に会えなかったりするものなんだよな。


悲しみを忘れてしまったら喜びも感じられなくなるだろうし、苦しみを失ってしまったら今あるものの良さに気づけないだろうし、嫌な人を排除しても好きな人だけは残らないだろうし、欠点しかない人はいないし長所しかない人もいない。マイナスはプラスを支え、欠けたものは満ちるためにあるのだよ。


誰とでも上手くやる、どこにいても居心地がよい、みたいなのを当たり前だと思うから辛いのかもな。色んな人がいるから皆と上手くやれなくて当たり前、居心地のいい場所がそんなにたくさんあるわけないじゃんって。大事な人がひとりでもいて、心安らげる場所が少しでもあるなら、それでいいじゃん。


「出会ったもの全てに感謝!」みたいなスタンス、嫌いじゃないけど最近は少し違うなと感じる。それじゃ何も捨てられないなって思う。クローゼットも、時間も、労力も、全部が全部有限で。「ああ、これは無駄だ」ってある程度見切りをつけないと、大事なものまで逃してしまうような気がしている。


本当にちょっと考えたら分かると思うんだよ。自分のこの発言に対して相手がどう感じてどう返すかって。そのほんのちょっとの手段を取らずに、言いたいことを言いたいままぶつけると、コップの水が溢れるのと同じで、関係が元には戻らなくなってしまうよ。


書かないところに真実はあるし、言わないところに真意がある。発した言葉や見えているところだけを材料に判断するのは些か早計だと思う。一番大事なことって、一番言えなかったりするじゃないか。


嫌われないようにしたって、嫌われちゃう。好かれようとしても好かれない。これが残酷な人間界だと分かっておけば、人に好かれようとか、嫌われないようにしようなんて気にしなくなるよ。自分を好きになってくれる人は好きになってくれるし、反対に嫌う人も絶対いるから。


どうにもならないことを「どうにかしよう」と頑張ることをやめたとしても、新しい何かに出会えるもんだよ。「諦める」って言葉は聞こえが悪いけれど、どうにもならないなと受け入れると楽になれることも多いのは知っとおくといい。


比べたり比べられたりする中で、さらに横から色んなことを言う人がいて、どうしたらいいか分からなくなったとき、傷ついたり悲しくなったとき、それでも自分の人生の責任を他人が背負ってくれるものでもないので、最終的には自分が決めればいいと思うよ。決めたことを引き受ける覚悟があればさ。


何かを得れば、そのぶん何かを失ってヒトは生きていくしかない。だけどただ等価交換というわけではなく、生きていくということは枝葉のように広がってゆくことなのではないかって思うんだ。失ったものは姿形こそ変わっても、ちゃんとそばにあって、今に繋がっている。全て無駄じゃない。よく頑張った。


「ひとりで何でも出来る」って思えることが大人になることだと思ってるうちはまだまだ子供。「ひとりじゃ何も出来ない」と思えるようになって初めて、大人の一歩なんだよ。ヒトはひとりで生きているようで、目に見えない多くのところで、色んな人に支えられて今があるんだから。


「大丈夫!!」が大丈夫じゃないときに、見破ってくれる人がいることは、本当に本当に有難い。自分も大切な人にとってそういう存在であれたらいいなと願う。


だれかの成果を見て、そこに至るまでの努力も知らないくせに「才能があっていいなぁ」とか嫉妬することがある。そして後になってたくさん努力あってこその成果だと知る。そうするとこれまた「そこまで努力できること」に対して嫉妬してしまう。それが人間。隣の芝はどこまでも青い。


もう学生に「遊べるのは学生のうちだけ」とか嘘を教えるのはやめようよ。大切なのは「学生のうちしか遊べないような人生にならないようにするには、どうしたらいいか」ということじゃないんですか。


夢を追うのなら、「人は人、自分は自分」って思うこと。他人が得た境遇が羨ましくなってまねしようとすると、せっかくの自分にしか得られない素敵な夢からどんどん遠ざかってしまうからね。人は人、自分は自分だよ!


根拠のない自信は大切にしたほうがいい。なぜかわかる?根拠のない自分を信じれない人が、根拠のない他人を信じれるわけないじゃんね。


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