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老子を学ぶ

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現在、老子を勉強中です。老子に関してアップしていきます。 岩波文庫の蜂屋邦夫さんの老子を参考に、引用しながら学んでます。

26章。重は軽の根本、静は躁の君主。重は、権力掌握。静は、君主の地位保持。君子は、一日中従軍しても王の専用車から離れず、立派な建物でも安らかに寛げる。大国の君主は、自分の身を軽くは扱えない。軽はずみな行動が命取り、みだりに行動すれば君主の地位を失う。躁は、細かい政令等なので慎重に。


25章。重いは軽いの根本、静は躁の君主となる。君子は、一日中従軍しても王の専用車から離れず、立派な建物でも安らかに寛ぎ心煩わさず。常に心穏やかに、動かざること、山の如し大国の君主は、自分の身を軽くは扱えない。軽はずみな行動で命取り、みだりに行動すれば君主の地位を失う。


25章-2。道は大なるもの、天は大なるもの、地は大なるもの、王もまた大なるもの。徐々に、小さく。この世に四つの大=無限大があり、王はその一角。人は地を手本、地は天を手本、天は道を手本、道は自ずから然るあり方を手本とする。徐々に、大きく。存在は道。性質は大=包容力。道は自然に法る。


25章-1。何かが混沌として動き、天地よりも先に誕生。静かで形もなく、独り立ちし何物にも依存せず、遍く巡り渡り休まず、この世界の母というべき。その名を知らないが、仮に道と呼び、無理に大と名づける。大はどこまでも動き、どこまでも動くと遠くなり、遠くなるとまた元に返る。宇宙空間を解説?


24章。つま先立ちでは立ってられず、大股では遠くまで歩けず。自ら見識あり、自ら正しい、自ら功を誇る、自ら才知を誇ると物事がよく見えず、是非が明らかにできず、功が消失、才知が長続きせず。これらは、道では余計な食べ物、振る舞い。人は、それらを嫌う。得道者は、爪も隠して切る。


24章。つま先立ちではずっと立ってられず、大股では遠くまで歩けず。自ら見識ありとすると物事がよく見えず、自ら正しいとすると是非が彰らかにできず。自ら功を誇ると功が消失、自ら才知を誇ると長続きせず。これらは、道では、余計な食べ物、振る舞い。人は、それらが嫌い。得道者は、それらをせず。


23章-2。道と一体になった者は、道もその人を得る、徳と一体になった者は、道もその人を徳と、失と一体になった者は、道もその人を失とする。道=老子の君主。徳=孔子の君主。失=暴君。君主に誠実さ不足だと、民から信用されず。耳を澄ましても聞こえないのが自然の道=得道の君主は、政令など出さず


23章-1。耳を澄ましても聞こえないのが自ずから然る道。旋風も暴雨もずっと吹かず、降らず。風を吹かせ雨を降らせるのは、天地。天地ですら長く続かないなら、人では尚更。 事を行なうとき、道から外れない者は道と、徳から外れない者は徳と、道を失った状態から外れない者は失と各々、一体になる。


22章-2。自ら正しいとしないから、客観的で是非が明らかになる。自ら功を誇らないから、功が保つ。自ら才知を誇らないから、長続き。誰とも不争なので、世人は彼と争えない。古えの人が言った「曲がっているから全うできる」は、真理。真に、我身を全うし天に帰す。曲がってるから天寿を全う。


22章-1。曲がってるから全うでき、屈まってるから真っ直ぐになれ、窪んでるから満ちる、破れてるから新しくでき、少ないと得られ、多いと迷う。聖は、一なる道を抱き、世人が仰ぎ見る模範となる。自ら見識ありとしないから、物事がよく見える。平衡できるバランス感覚。


21章。大いなる徳を持つ人は、6感を使い道に従う。道は、朧げで奥深く、その中に形象、実体、純粋な気、確かな働きあり。古えに遡っても、名づけられたもの=道はずっと存在し、道の活動の中に万物の始まりが見れる。それが分かるのは、道がずっと存在し、玄妙な生成活動をしてるから。5感=欲。


21章。大いなる徳を持つ人は、道に従う。道は、朧げで奥深いが、その中に形象、実体、純粋な気、確かな働きがある。今から古えに遡っても、名づけられたもの=道はずっと存在し続け、道の活動の中に万物の始まりが見れる。それが分かるのは、道がずっと存在し続け、玄妙な生成の活動を行なっているから


20章-2。皆ゆとりがあるが私だけが、貧人のよう。私は、愚かに何も分からぬ。世人は眩いが私だけ薄ぼんやり。世人は目端が利くが、私だけぼーっと大まかで、海のように静か。強い風が吹くように止まらない。皆は有能だが私だけが、鈍く田舎くさい。私は、世人と違い、道という乳母を大切にしたい。


20章-1。孔子の学びを止めれば、憂いが消滅。道ではハイとコラ、美と醜は同じ。人が恐れることは、共感し恐れる。道は、広々して、果てしない。皆が浮きうきし、宴席のご馳走を楽しみ、春に高台に登り景色を眺めるよう。私だけ、静かで心が揺れず、笑わない赤子のよう、疲れて帰る家のない者のよう。


19章。君主が浅知恵を捨てれば、民の幸福は百倍。君主が偽善の仁愛を捨てれば、民は孝心や慈愛に満ちる。君主が私腹を肥やさなければ、盗賊は消滅。この三つを、教えの文句にするには、不十分なので、外面は生地のまま、内面は飾らない樸のよう、私心を減らし、欲望を少なくするを追加する。


19章。王が聡明さ、知恵を捨てれば、民の幸福は百倍。王が仁愛や正義を捨てれば、民は孝心や慈愛に満ちる。王が技巧や功利を捨てれば、盗賊は消滅。この三つを、教えの文句にするには、不十分なので、外面は生地のまま、内面は樸のよう、私心を減らし、欲望を少なくするを追加する。


18章。老子の大いなる道が廃れて、孔子の仁義が説かれる。君主の政治に知恵が働き、税アップ。民は、その対策で大きなごまかしを行う。トクリュウ。家族不和で、孝子、慈父が出てくる。国家混乱で、忠臣が現われる。良いんだか悪いんだか、それが歴史。ただ今は、仁義の先の世?


18章。大いなる道が廃れて、仁義が説かれる。 知恵が働き、大きな虚偽が行なわれる。 家族不和で、孝子、慈父が出てくる。 国家混乱で、忠臣が現われる。


17章。老子的君主は、民はその存在を知るだけ。孔子的君主は、民は親しみ誉めたたえる。法重視君主は、民は畏れる。最低の君主は、民は馬鹿にする。君主に誠実さ不足=民から不信。君主は、軽々しく言葉、命令を発しない。君主のお陰で仕事を成就しても、人は皆、独力でやったと思う。見守る温かさ。


17章。最高の君主は、民はその存在を知るだけ。2番目の君主は、民は親しみ誉めたたえる。3番目の君主は、民は畏れる。最低の君主は、民は馬鹿にする。君主に誠実さが足らないと民から信用されず。君主が言葉を惜しむのは慎重さが大事。仕事を成就しても、人は、皆、独力でやったと思う。無為自然の実践


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