〝何かを構築・成し得ている・実際に創り上げている人以外は、誰かに何かを伝えることなんてできない〟そういう空気を感じていた。が、そう受け取るのは私の癖。現実化するための道を示す人がいるなら、私は心やその人に寄り添うことを意識してみよう。私が経験してきたことが、何か役立てるなら。


〝 この世に生まれた理由 〟その答えに成り得るものは、きっと自分の内からしかみつけられない。そう気づけるのは、外をひたすらに探し続けたからこそだと感じる 今日この頃。時間の経過に焦り、階段飛ばしをしたくてしょうがなくなるけれど、順序立って経験していくことでみえることがあると思う。


「頑張る」ことを「頑張る」 という、二重の意志力による エネルギー漏電。 きたものを淡々とやる。 感情的反発は、それに上手く 波乗りする。 という、ひと月ばかりの試みを 明日からSTARTさせる。


過去に置いてきてしまっていた感情が 現在と繋がり、時が進んだ 私はまだまだ前進できる


言葉にはいろんな面がある。 発信側と受信側、それぞれの感情や状況によって、多くの面を現す。 だからこそ、丁寧に扱う気持ちが大切なんだと思う。


判断する為の情報を収集し 見極め、 決断する意思と力を磨き、 それぞれをより素早く行うこと。


【責任をとる】とはどういうことか?


ある人が逝ってしまったことに対して、哀しみと共に、そんな結果を生んだかもしれない経緯に腹が立ち、それがまた別の考えを呼び、整理しきれない感情が漂っている。 どうか安らかに眠ってほしいと、願うばかりで。


【作品】と【作品ではない】の境界線とはどこか?


哀しみも 辛さも 幸せも 計れるものではない。 ただそのときに、当人が感じることが全てなんだと思う。


久しぶりに 作家の “ 手 ” が観える器を拝見した。轆轤と共に 土の表面を滑る手は、形+模様+釉薬という式を 見事に構築しているように感じた。 出逢ったこともなければ よくも知らないその人柄さえも、器を通して観える手から溢れ出ているようだった。


hito Reposted

@Cti_Bi おつかれさまーん★


自分と会話すること、自分のことを知ろうとする時間、自分をとことんみつめる時間の大切さを、いまつくづく感じる。


一歩前進。 必ず、更なる向上を目指す。


私の足の長さ 一歩だけで、最上階に行くのはなかなか難しい。だからしっかりと踏み締めて、一段ずつ上がろう。景色を眺め、吸収しながら。


手を伸ばしたときに、手が届くモノと届かないモノもある。 届かないモノは「今」届かないだけで、ちゃんと道を踏みしめて進めば、きっと届く。


現在、求める情報は比較的素早く得ることができる。飽和状態で浮遊する情報たちに、見失ってはいけないモノが紛れ込んでしまうこともある。身近にある大切なコトを、こぼれ落ちないようしっかり包み、生きていきたい。


自身の幸せについて今わかることは、大切な人々がいるということ。常に人を思う気持ちを、【ありがとう】という心を大切にしていきたい。


ある雑誌で、心惹かれる絵画を観た。視覚は勿論、意識の中の聴覚や触角をも刺激されるような作品。そんなものづくりができるよう、向上心を持ち続けたい。


やりたい事を実現する為に、必要なコトを見極め、今の自分に足りないモノを吸収する。深く考える力を養い、モノゴトを多角的にみる力は、いつの時代でも重要であり、必要とされるものであると思う。


United States Trends
Loading...

Something went wrong.


Something went wrong.