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佐藤道子

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喜寿を前に暮らしているクリスチャンです。花々が大好きです。庭にしっかり根を下ろして咲く花も好きですが道端のコンクリートの陰から逞しく咲いている花は愛おしく感じます,まだ初心者なのでDM.はしていません。Twitter上の言い争いは好まないのでしません。ご協力お願いします。

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桜が散ってしまった。道端に真紫のすみれが小指の爪程の小さな花を咲かせていた。この花に何人の人が気づくのだろう。しっかり根を張って逞しい。この季節は生命の息吹を感じる。木々の新緑もまぶしい。死に勝ってくださった神様の愛が私達を包んでくださっている。その事はいつでも心に刻んでおきたい


しばらく呟けなかった。人間は悲しいなあと思ったら暫く立ち上がれなくなった。自分は傷ついたと思い始めると、人を拒絶し出す。そうやって、1番大切なものを失っていくのだとその時は自覚できないんだょね。人間って感情的になっている時って神様を忘れている。


悲しみや苦しみや辛さはある時人間の力ではどうにもならないことがある。そんな時イエス様の十字架を見上げたい。人間の目には絶望にしか見えない『死』をも打ち破り私達に希望の光をあたえて下さったのだから。その光を信じて辛くても歩みたい。


幼い頃逆上がりができるようになったとき両親に「見ててよ!」と言いながらやって見せた時嬉しかった。公園の怖い吊橋を渡る時も両親に「見ててよ!」と言って渡ったら怖さが半分になった。最近神様の眼差しについてよく考える。神様が見ていて下さることがなにものにも優って最も心強いという事を。


祈ることができないほど憔悴し切っている時も尚祈らねば!と思うけれど頑張れない時がある。そんな時主にある兄弟姉妹方が祈っていて下さる祈りがどんな心強く、力になるかを思わされる。苦しい時にも感謝ができるということがどんなに神様から与えられた素晴らしい事だろう。


君の歩く道は石ころだらけですてきじゃないか!という歌詞が何故かじんときた。 m.youtube.com/watch?v=3SRtzy…


私に与えられている棘がもしなかったら、こんなに辛い思いをしなかったのかもしれない、とふと思うことがある。でもその棘が与えられているから神様のご栄光があらわれるのだとしたら、その事を喜べる信仰が与えられるように切に祈りたい。神様のために生きていける事を喜びたい。


年をとると辛いことや怖い事が多くなった。例えばお風呂に一人で入るのも怖い。持病を持っていると尚更。日常の事以外にも人生終わり近くなれば試練も重なってくる。なんでこんな事?とふと立ち止まると、黙って私の事を見ておられる神様の眼差しを心に思う。1番頼りになるお方が見ていて下さるんだと


朝起きたときはサラサラ雪が降っていてだんだん雨に変わりました。寒く曇った朝だったので1番にお味噌汁を作りました。まだ寒い部屋で熱いお味噌汁が体全体に染み込む様な気ガしました。不安に満ちた冷たい雨の中で主のあったかさを1人でも多くの人が知る事ができたらいいのになあと思わず祈った朝です


私にだって腹が立ってしまうことがあります。その怒りをどこにぶつけたら良いのかわからなくなる時があります。そう言う時は祈れない!私はそんな時外に飛び出します。キーンと張った冷たい空気を吸って下を見たり空を見上げたり神様がおつくりになった命の息吹が私の心を段々に穏やかにしてくれます。


明日は礼拝に行きます。でもまたコロナが増え出したから再来週の礼拝はまた配信礼拝になってしまうかも。みんなで礼拝できないのは大変残念ですがこのコロナ禍に命を与えられこの世に押し出されているという事はやはり神様のご意志と意味があっての事だと信じる。だから毎日一生懸命生きようと思います


昨日は雪でしたね。やんでからの雪掻きは大変でした。この年になるとしゃべるも重いし。ヨイショっと上を向いたら枯れ果てた木々に花が咲いたようで、綺麗〜だった。神様からご苦労様って言ってもらった様な気持ちになった。


私が重い病気をした時神様は私と出会って下さった。病気は辛く苦しいものであった。でもあの時神様と出会っていなかったら今まで遭ってきた試練には耐えてこられなかったと思う。そしてこれからも、、病気という悲しみを神様と出会えたという喜びにかえてくださった神様に感謝。


三が日の最後の日家族が帰った後のお布団を干しまくりました。まだ家族のにおいがして胸がいっぱいになりました。神様が私たちにしてくださった様に私は家族がいつでも帰ってこれる様な家になろうとおもいました。


信頼していた人から裏切られた経験があり今でも心が張り裂けそうに苦しいことがある。でも神様にあってこう思う様になった。騙した苦しみを負うより騙された苦しみを負う方が幸せだと。人を陥れ騙した事実は消えない。でも騙した人はきっとそんな事考えてないし感じないのだろう。クリスチャンなのに。


明日は道路も混むからと集まった家族が早めの夕飯を済ませてそれぞれの場所に戻って行きました。再びシーン静かになった家です。寂しくなったけれどまたみんなが集まって来れる様に明日はお布団干したりしよう。神様、恵まれた新しい年のスタートありがとうございます。


家族勢揃いの元旦でした。明日は朝から家族で礼拝に行く予定です。色々な厳しい状況はありますが、礼拝を守る事ができることはなんという恵みでしょう。


お節をささやかながら手づくりしてお重に詰めていたら、知らない間に1段目が平らげられていた(笑)それが賑やかな年末の良いところね。年が明けてまた家族がそれぞれの場所に戻った時の一抹の寂しさの中で毎年家族のそしてみんなの平安を祈るのが私に与えられた大切な事。


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