@siwdissblptn2 Profile picture

美朝

@siwdissblptn2

主にその日の聖書箇所の感想をつぶやいています。カトリックですが、他宗教の中にある素朴な生き方や真理、自然や人々を愛したり、社会的弱者に対する温かな理解や思いやり、自分を大切にする思想を尊敬しています。金子みすゞの詩が好きです。

Joined September 2023
美朝 Reposted

いまのSNSは信じたいものを 真実だと思えるように作られている ところが怖いな。 政治的なところとかは特に。


これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ(ルカ12) 蓄え 生きていくのに必要なものもある 遊び暮らすための蓄えなら 自分だけのための蓄えなら それは違うとイエスは言う 地上ではなく 天に富を積むのだと 自分のために必要な財をうまく用いつつ 天に富を積む 上手な財の管理人でありたい


杯や皿の外側はきれいにするが、自分の内側は強欲と悪意に満ちている。外側を造られた神は、内側もお造りになったではないか(ルカ11) 神が内側をお造りになった時 それは確かに美しかったはず なぜ強欲や悪意に満ちてしまうのか? 外側ばかりに気を取られていたから? 今一度 内側に意識を向けたい


むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である(ルカ11) 幸いな人とは お金持ちでなく 地位の高さでもなく 容姿の美しさでもなく イエスと血縁で繋がっている人でもない 幸いな人とは 神の言葉を聞き、それを守る人 今日はこのよい知らせを そのまま受け取りたい そしてそう生きたい


わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている(ルカ11) この言葉だけ切り抜くと 独裁者のような印象を受ける しかしこの方は 敵を愛せよと説き 敵を赦して死んだ方 イエスの行いを見てもなお 疑い続ける心の頑なさに対して イエスは悲しんでいたのだと思う


だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる(ルカ11) だれでも と書いてあるところが好きだ でも 受け、見つけ、開かれる時が いつなのかは書かれていない 長い時が必要かもしれない でもだれでも与えられるのだ 根気よく信じ続け 待ち望む恵みが与えられますように


父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように(ルカ11) イエスが御父にまず祈ること↑ 自分サイドの願いでなく 御父の思いを汲みとった願い 御父とイエスとの深い信頼関係 その中に私たちは 主の祈りを祈る時入っていく そこに招かれた感謝と信頼のうちに この祈りを唱えたい


夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか(マルコ10) この質問 人が自分勝手に 配偶者に魅力を感じなくなったから あるいは自分の思い通りにできないから あるいは他にいい人ができたから などわがままな動機の場合の ことを言っていると解釈する イエスはその類の離縁は認めていない


これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである(マタイ18) 「一人でも」 心のどこかで特定の人を 軽んじてしまっている 守護の天使 誰のことも大切にできるように 私たちをいつも守ってください


イエスは(略)、一人の子供の手を取り、御自分のそばに立たせて、言われた(ルカ9) 子ども 時に わがままを言い、聞き分けなく 執拗にせがみ、自己中心に動く しかし 諌められれば、認めて謝り 喧嘩をしても仲直りが早い 欠点さえ弱ささえ 子どもは美しい 子どもの魂は私の中に眠っているのか?


弟子たちはその言葉が分からなかった。彼らには理解できないように隠されていたのである。彼らは、怖くてその言葉について尋ねられなかった(ルカ9) イエスによる受難告知 私も弟子だったら 同じように怖かっただろう しかし これは怖がらせるためではない 「その時」への準備のため


そして、イエスに会ってみたいと思った(ルカ9) ヘロデも イエスに会いたがった 興味本位か 好奇心か それとも真心からか 今日 私がイエスに会いたいのはなぜか 自己本位の安心剤としてか それとも イエスこそ唯一のそして真実の 救い主だからか そう心から信じて従う決意は そこにあるか


赦されることの少ない者は、愛することも少ない(ルカ7) 赦されること 愛すること これらは繋がっているという 赦されることを求め 愛される権利を主張してしまう 赦すことに背を向け 愛することを拒否してしまう そのままをイエスさまにお見せして 赦される必要に気づく恵み、愛する恵みを願おう


しかし、知恵の正しさは、それに従うすべての人によって証明される(ルカ7) 悪口、陰口を言う人はどこにでもいる イエスさまや洗礼者ヨハネも例外ではなかった しかしイエスさまは、それらに知恵をもって対応された 単に やられたらやり返す、ではなく 知恵の正しさをもって返された


偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる(ルカ6) 自分の目には丸太 兄弟の目にはおがくず 私たちは 自分の目にはおがくずで 兄弟の目には丸太が と勘違いする 自分の丸太に向き合おう


貧しい人々は幸いである、神の国はあなたがたのものである 今飢えている人々は幸いである、あなたがたは満たされる 今泣いている人々は幸いである、あなたがたは笑うようになる(ルカ6) 福音の語る幸い 理解に苦しむのは自然な反応か 幸せって何だろう 福音の語っていること わかるような気もする


安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、滅ぼすことか(ルカ6) 決まり、ルール、法規、規範、、、 これらは 神への愛と隣人への愛のため 善を行うため 命を救うため イエスはそれを頑として譲らなかった わたしも日常でそれを貫けたら幸せだ


「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる。」更に言われた。「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」(ヨハネ1) もっと偉大なこと 十字架と復活の出来事


United States Trends
Loading...

Something went wrong.


Something went wrong.