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呉智英bot

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呉智英氏御本人とは一切関係ありません。出典の問い合わせ、追加したい文言等、何かあれば@sencha69までお気軽にどうぞ

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我々は教育は絶対善だと思っている。ちがう。教育は必要悪なのである。それは初めに少し触れたように政治に似ている。政治も必要悪なのである。この二つのちがうところは、政治に深く関与した人ほどそれが必要悪だと気づくのに、教育に深く関与した人はそれが絶対善だとますます信じこむところである。


日本国憲法の中で民主主義の本質を説いているのは、実は第十五条の第四項なのだと言っても言い過ぎではないのです。


「選挙人は、その選択に関し、公的にも私的にも責任を問はれない」。確かにそうしなければ秘密選挙にはなりませんし、秘密選挙の意味はありません。しかし、期せずして民主主義がいかに危ういイデオロギーであるかを自己暴露しているんです。だって、民主主義は無責任の思想であると認めたわけですから


「すべからく」が「須く」と書かれていれば、特にくわしい成り立ちを知らなくても、統・総・凡・全・などとは異種の意味だということぐらいはわかったはずなのである。民主心がわき上がるのを防止できたはずなのである。それなのに、何故、漢字が使われないのか。 いうまでもない。漢字制限である。


平凡なSF作品は、向こう側の世界をこちらの世界の論理によって解明しようとする。解明の完了が物語の終了である。しかし、諸星は、異界を異界のまま、怪異なるものを怪異なるもののまま描いたのである。これは敢えて譬えれば、民俗学や文化人類学の方法に近い。


政治家の汚職やスキャンダルが発覚したとき、テレビのキャスターや新聞の論説委員が必ずこう言います。こんな政治家を選んだ国民一人一人の責任です、と。この良識ある発言、なんと憲法違反なんですね(笑)。…(略)民主主義、これがいかに不安定で危ういものかを、憲法は率直に認めているのです。


読書を経験値として知の戦闘力として確実に蓄積するノウハウを記した画期的な書『読者家の新技術』amzn.to/1LQCNaj


「市民」なんて言葉も左翼運動の中で使われ始めたのは60年代半ばからなんだよ。それまでは、政治的に軟弱というむしろ悪い意味の言葉だったのが、67年の羽田闘争あたりから意味が変わってきた。


保守派の多くは、実は何か確信があるわけじゃなくて、単なる保守退嬰の方の保守だから、何も言えないんだよね。


あらゆる知識人へケンカをふっかけた尖ったナイフ時代の書。『インテリ大戦争』 amzn.to/1d6HgJH


呉「いやあ、ここでね、俺、あんまり公開したくないんだけど、俺、フェミニズムってものすごく嫌いなんだけどさ、ホントは心の中で逆にものすごく共感しているところがあるのね。 宮崎「(笑)いや、呉さんはずっと昔からフェミニストでしょう」


死っていうのはある意味で人間の平等性を保証しているわけですよ。神様とか阿弥陀仏っていうのは、その死のイメージが反転した結果だと思うのね。そこから見たら、人間はすべて平等でしょ。人間の善悪なんてたいしたことじゃないっていう、一種の悪人正機説も、そこから導き出されたという一面もある。


例えば、キリスト教で言えば、マリア信仰というのは本来否定されているはずなわけですよね。聖書の中ではね。イエスはマリアを何度も否んでいますから。ところが、ヨーロッパに土着するときには、地母神信仰と一緒にならない限り民衆にアピールしていきません。それでマリア信仰が復活してくる。


数千年の封建主義の歴史の中では、ただの一度もファシズムが発生したことなどなかったのだ。逆に、わずか二百年の民主主義の歴史の中でこそ、あちこちにファシズムが発生したのである。


「けしからんマンガ」に関してはいつも俺、本居宣長を引用するのね。 (歌には) 政のたすけとなる歌もあるべし 身のいましめとなる歌もあるべし また国家の害ともなるべし 身のわざわいともなるべし それでも人間の真実が描かれれば、芸術であり文化。(要約)


フランスの歴史家セニョーボスの言葉に「愛、この十二世紀の発明」という名言があるそうで、現代人の考えている、男女が対等の意志や感情で対し合う愛は、せいぜい十二世紀以降のものだという。 すなわち、愛の同質同価一元論は、きわめて西洋近代的な、民主主義がらみの思想なのである。


マンガ評論の画期となり、以後のマンガ研究において基本書 ともなった『現代マンガの全体像』amzn.to/1FioAgS


生身の中島みゆきは私と等格なのであり、ともにイデアの顕現の一つである。仏教的に言えば、法身(イデア)と応身(生身)ということになる。応身の中島みゆきは、会ってみると、バランスのとれた非常に感じのよい女性であった。しかし、この健全さに法身が収斂されるべきではない。


査問とは党内警察・党内司法の取り調べである。非合法活動中であり査問は過酷を極め、その最中に一人が死亡した。この査問を行った中心人物が宮本顕治であった。宮本はこの件で監禁致死罪にも問われていたのである。


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